2021年1月5日火曜日

映画、機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)

ガンダムのプラモデル、40周年を記念して放送された特別番組を録画して視聴したんですが、機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)の続編として描かれた世界観で間違いないでしょう。1回しか観てないので細かな部分は説明できませんが、ガンダムUCだけを基準としてその後のガンダムを追って行く見方が望ましいと思い、ファースト(ガンダム)世代からのガンダムファンがどう感じたか知りたいところで、彼らにしてみればまあまあの評価だったでしょうか?

ガンダムUCは30代に人気がありガンプラも売れただろうし、彼ら目線で過去のガンダムを気にせず機動戦士ガンダムNTが出発点だったと言いたい訳です。我々は過去に出てきた宇宙世紀シリーズの登場人物が出てきてちょっと胡散臭いかなとは思ったがw、それは古参へのサービスとして受け止めてます。早速、ヨナ・バシュタ、ミシェル・ルオ、リタ・ベルナルの3人が立派な主人公だったと思うし、リタが最後にこのことは分かっててミシェルもそうだったと彼女らの口から告げられ、最後はヨナに自分の好きなように託されたって聞いて、めちゃ説得させられたガンダムNTの1番の見所だったと思います。

だってミシェルもリタもこうなること分かってて、ここまで生き抜いてきただけでも相当な人生ですから・・・。非人道的な強化人間の実験が繰り返され、彼らの結末はある意味、哀しいものでありまたニュータイプの存在意義も命題にされてます。ゾルタン・アッカネンはサイド6のスペースコロニー「メーティス」内で発砲しててその時点で狂ってるだろうけど、彼もまた強化人間としての犠牲者で最後は白衣を着た男性に手を引かれ、子供のゾルタンがこちらを振り向き向こうへ去って行った。

強化人間の失敗作だと諦めも付いてまだ子供であるが、片目を失ったけど第2の人生を歩む姿だと前向きに捉えたい。強化人間は結果を出して何ぼでゾルタンは、IIネオ・ジオングの力でリタとその実力を争い誇示し、己の存在を示すだけのもはや帰る場所もない適役だけだったが。消息不明となっていたRX-0 ユニコーンガンダム3号機が、地球圏に再びその姿を見せ始めたとき意味が分からなかったが、IIネオ・ジオングをフェネクスの光で封印し脅威たるものの存在が示されれば、また現れると言うことでリタとミシェルがその精神を宿してどこか遠い彼方に存在してるでしょう。

そして、バナージ・リンクスの登場!に歓喜し、ヨナをこちら側に引き戻し彼がいなかったら病気したカミーユ・ビダンみたくなってただろう。魂を抜かれた宇宙ばかり見上げてる植物人間とでも言おうか?ミネバ・ラオ・ザビは自身が語るサイコフレームは人の手には余る代物で、それを封印すべく使命に職務として殉じるでしょう。ジオン共和国のバナージ、連邦軍のヨナと機動戦士ガンダムΖΖみたく新たな主人公が登場し、その3部作を終えて1つのシリーズ化が終わると思ってます。出来ればTVアニメでその様子を観たいです。

宇宙世紀 0123年3月の機動戦士ガンダムF91の頃にジオンそのものが消滅してて、昔のガンダムみたく連邦とドンパチする機会が減ってきてて、機動戦士ガンダムNTも初歩的にそのような傾向にあったと思われます。機動戦士Vガンダムは宇宙世紀 0149年だからそれ以降のガンダムが創られないのは、敵対勢力がなくガンダムの存在意義がないためで、仮に敵対勢力として政治絡み大企業のくだらん金儲けのための戦争でしかないでしょうから。そんなもん誰も観たくありません。w

映画ですけど久々にガンダムを観て集中しながらあっと言う間の時間でしたが、昔ほどガンダム熱はなくなってます。本来なら即ガンプラですけど、別に買わなくてもいいやみたく。もう1つ機動戦士ガンダムNTで世界観として地球と宇宙コロニーが共存し合いながら経済を発展させていけば、これまで失った物は取り返せないがそれでも十分に再生ある未来に希望が持てる、人の営みが永遠に続いていくと思うんです。ガンダムの最後はいつになるか分かりませんけど、このような形で終わって欲しいです。行き過ぎるとマクロスシリーズになってしまい、またあちこちの宇宙で戦争が始まってしまいます。w


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