2022年4月2日土曜日

2022年4月に突入しました

昨日は「医療」で運転手さんに月初めだから母親の健康保険証など見せて、後は先生に看護師と別に母親を見る訳でもなく、自分がほとんど喋って先生が薬を出すためにただ来てるようなだけだがw、先生は若くて女性です。マスクしてるんで眼鏡かけてるのしか分かりませんけど、学生時代は勉強一筋みたいな感じの良い意味で地味な真面目だと思いました。

昨日は10分くらい立ち話で先生と看護師に母親のこと大まかに話して、母親のこと少しでも理解してもらえるようにが目的です。看護師は血圧とかその程度はしてもらってますが、先生に便秘と言うことで来てもらってるので、お腹辺りを触ってみたり聴診器あててみるとかその辺のことはしてもらいたいかな。

母親は精神があるのでもしかしたら手を出すかもしれないので向こうが避けてることあろうし、私としても問題が起きたら困るのでその方が良いかもしれません。いや、家として便秘気味の薬を処方してくれれば良いだけで、特に文句を言ってる訳では全くありません。で、ちょっと前に母親が汗だくで意識なくなり救急車で運ばれてるんで、また食事中にそうなるのかと焦りながら夜ご飯を摂って、そっちの方で疲れてる現状です。

今日は土曜日ですが来週の月曜日に保健師が家に来ることなって、何で今更 来るのかと普通に迷惑。w午後に来るって夕方までぐっすり寝てたいから。wその保健師は1度、引継ぎみたくお会いしてて30代 前半の綺麗な方で、少ししか喋ったことないけど頭は回ると思ってます。女性の保健師って男性よか話の聞き方やこっちの話すことに対し理解力あるなと、やっぱ女性の保健師はその点に関しスペシャリストだなと感心してます。

まあ、ぶっちゃけ向こうは仕事でこっちの事情なんて分かるはずもなく(仕方がないですが)、行政の機械的な側面も悪い意味でなく仕方がありません。世の中、金をもらってるからこそ介護士とかおむつ取り替えたり、看護師が精神患者の世話してるってどこも当たり前と、父親の介護から母親を通して医療(機関)に対する実状がうかがえてます。

逆に言って金を払えば良心的な医療サービスを受けられて、やっぱ世の中は金じゃんと。家は週に2回、看護師と作業療法士に月に2回、先生の往診と病院など金銭面において貢献してる方だと思ってます。例えば国民年金だけではこのようなサービスは医療費的に受けられない方もいるでしょうから。とにかく母親が病気で面倒を見るのは仕方がないとして、精神で感情が乱れてくると本当に1人じゃどうにもならなく困ってます。

母親が近い内に亡くなるのかまだこの先、生き続けるのか僕は車椅子の父親と病気の母親の面倒を見るために生まれて来たようなものか。(´-∀-`;)悪くはないが兄弟は上手く結婚にたどり着き子供 生まれて東京で暮らしてるから。1人でご飯食べてくのも大変なのに母親を見続けるの加わって、どう考えても母親が歳を取っていけば更に合併症とか面倒ごと重なるの目に見えてる。

だから頼むから早くベーシック・インカムで俺ら社会不適合者を金で救ってくれと。w話を4月のことに戻して、自分は万年だから何も変わりはしない。当然、自分で何もしないんだから何も訪れないの理解してて、だけど人は若かったり障害を持つ以外に1人で生きられなく、これから人とどう携わって行くか分からない。自分が困ることあるなら行政に頼るんだけど、あくまでも話を聞いてくれたり行政の手続きまでが彼らの仕事だから。てか、一般人との付き合い方は未来永劫ないんだけど・・・。

それと4月や5月は税金の請求される月で早速、サブカーの民間保険会社から電話 来て保険料をまた1年契約してます。他に固定資産税に自動車税2台分と金を用意しなきゃ。固定資産税は1年間、自分の土地に家建てて住んでるだけなのに毎年、罰金を支払わされてるだけのような。逆に家は消費税 払いながら建ててその建物の価値は全くないのに、土地は消費しないんで消費税がかからないと言ってる割に、繰り返すが罰金の固定資産税を取られ土地は売るにも土地の時価が怪しくも勝手に決められてw、多少の資産になると言う摩訶不思議。

そして、土地は売るからに様々な税金かかります。家はゴミの価値しかないけど土地はいつまでも価値あるとか、上手く固定資産税を取り続けるに良くできたシステムだこと。もう昔の木造住宅なんて家の解体費用だけで、その僅かな資産(価値)さえ消えてしまう。金は空想によるただの紙切れなのに、皆が命を削ってまで頑張るから金に価値 付いちゃって、頭の良い奴だけがやりたい放題になり生まれによるものや学歴差別に貧富の差が増してくだけでしょ。

そのことに早く皆が気づいて欲しいです。僕なんて家族を養うのに金がかかるんだろうけど、そこまで仕事に命張ってするべきものかと不思議でしょうがない。大事な奥さんや旦那がいて自分の分身である子供もいて、3人の家族で多くの時間を費やして限りある命をつないでいく方が人にとって幸せであると思うんです。3人が日常をそつなく過ごせていて、他に困ってる人がいたら少しばかり余裕もあるんで、人道的な手助けができると言うものです。


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