親戚の叔父さんも車で迎えに来てくれて手伝ってくれました。(姉弟ですから)病院は朝の9時25分に到着し先生の診断が終わり時計は夕方の4時5分と、ここまでめちゃくちゃ長かったです。途中にスーパーで買い物して45分くらいは病院を離れてましたけど。それからロビーで会計だ薬の処方書?を隣の薬局に持って行き、それぞれ15分くらいで済んだから良かったです。
もう、夕方なので特に薬局は1人しか待ってませんでしたし。病院から出たのが4時半過ぎで、皆がくたくたになりながら自分の自宅に夕方5時10分頃に到着!造影検査や心エコーに血液検査など、母の心臓の状態は今のところですが安定してて大丈夫とのことで、半年ぶりの病院でしたが一安心しました。冠動脈のバイパス4ヶ所、弁膜症(僧帽弁と大動脈弁)を約8時間半の大手術で、その間に心肺停止を4回しながらの奇跡の生還を果たしてます。
そのリスクは承知で手術をしてもらうように、何度も病院側に頼んだんですから。最後にそれを決断したのは長男の私です。本人は精神疾患があるのでもし手術がリスクのせいで失敗したら、何も分からず亡くなったことでしょう。その病院の先生方でかなり意見が分かれたとのことです。ただ理事長が決めたことなのでそれに、従う形となったと私に報告してくれてます。母について一言でまだ「生きる人生」だったと言うことです。
大雑把に日本において国家 資本主義、リスクを背負わない投資はあり得ません。公務員になる以外は。だから母の命を言い方はあれですが懸けに勝利して、その代償が「命」でしたからその他の儲けなんかちっぽけに思えます。w趣味して月に1万でも報酬があればにんまりできる精神が私の「特徴」とも言えます。wだって焦ってもどうしようもなく、結局は毎日の地味な努力が報われたのを経験してるんですから。
とは言え、無職 独身(未婚)の禿藁乞食ラーなんで1歩、足を後ろに滑らせたら人生が終了なのは言うまでもありません。ww←これは全くの事実です。wだから進むしかなく、こうやってブログは毎日、オリジナル記事で更新してるんです。その内、必ず「勝機」は見えてきますから。その時にまた大変な事柄なんだろうけど、機会を手につかめるように毎日の繰り返しです。
話しが戻り昨日の今日で昨日は疲れて、家に帰ってきて全身が打撲のように力が入らないんです。ボワーっとしてました。。疲れで9時間くらい寝たので体力は戻ってきて、数日もあれば完全復活します。腰の調子は今一ですけど。。病院は質問事項と体温を測り、ロビーで咳してる人がいればスタップが駆け寄り、本人に話しかけて奥に連れられて行った人も見てます。
病院に入る前は手の消毒はしなければならなく、患者の数は10のもの8でそんなに空いてませんでした。皆は病院の出入り口近くに近寄らず、奥の方の椅子に座ってたのをそうだなーと思いました。言われてみれば、人の出入りが1番に激しい場所ですもの。私は病院で午後から咳が少しずつ出始め、家に帰ってきて少し微熱でしたが、今でも体が少し冷えてます。もしかしたら・・・。(本当のこと書いてます)まあ、疲れからでしょう。w
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